こころ




tokuma:

MORE MORE MORE

(出典: themourningdoves)



やっぱり本が沢山あるのに、開放感があるっていいな~




「何度でも挑戦する」と書けば多少の格好は付くが、「同じ失敗を三度も繰り返している」と書けば「センスがないからやめろ」と言われてしまうレベル。


センスがないからやめろって言われてやめるやつはセンスないんじゃないか。
これって決めたら何言われようと狂ったようにやるだろう。

Twitter : drhirame / どくとるひらめ - 160971814254821376 (via fudan10u) Via Eddie Lee 脳 thinking CLIP

時間というものは一時間あったら50分しか使ってはいけないものだ、とわしは子供の時おそわった。
どんなに根を詰めても10分は休まないとな。
朝の8時から起きて一日を過ごせば、午後8時にはほぼ完全な休息に入らなければ人間は人間でなくなってしまう。
10歳以下の子供なら午後8時はもうベッドに入っている時間である。
眠るためでもあるが、日常とは切り離された時間のなかで、いろいろなことを考えるためです。

日本のひとは時間を隙間なく埋めてしまうのが大好きなようにみえる。
「ぎっちりした時間」が出来上がると、ちょっと嬉しそうだ。
逆に午後4時から午後7時まで「なにもない空白」な時間があると、とても不安になったりしそうである。
この3時間を、どうやってすごせばよいだろう。

ほんとうは、3時間も空いてしまったら、大チャンスなのだから、もしきみが海辺の町で仕事をしているのだったら、ベーカリーによってクリーム・バンを買って、コーヒーのボトルをもって、海辺のベンチに歩いておりていって、ぼんやり海を見ているのが良いのです。
ずっと昔のことを考えて、ああ、あんなことあったなあ、と頭の奥のすみっこで曖昧な輪郭をなしている記憶を呼び起こす。
持っているクルマのサードギアがスムースに入らないのはなぜだろうと思う。
自分にはどんな伴侶が向いているのだろう。
SFって読んだことないけどおもしろいのかな。

文明人の特徴というべきか定義というべきかは、まさにこれであって、文明人で精神が健全なら「3時間」などは、そうやってぼんやりものごとを思い浮かべているだけであっというまに経ってしまう。
そうやって3時間を過ごせないで退屈してしまうひと、というのは、それだけ自分の中の文明が破壊されてしまっているのだと思います。

「時間を取り戻す」_経済篇 « ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日 (via jinon)
2011-01-05 (via gkojay)
Via のーと

これはかつて浪人時代、予備校の先生がおっしゃっていたことをプレゼンに当てはめているだけなのですが、プレゼンで聴衆の方に満足してもらうには

・聴衆がすでに知っていること50%
・言われれば「聞いたことがあるな」思い出すこと30%
・初めて聞く話20%

というバランスで話すのが経験的にもいいと思っています。

「慣れない人はどうしても「知らない話」ばかりをしたくなる」

私自身もそうでしたし、こうした気持ちになるのは当然です。なぜなら、事前に聴衆の人たちが何を知っているか、わからないからです。

登壇して前で喋る以上、「みんなが100%知っていることだけを2時間喋りまくるのだけは、避けたい」と思うものです。なるべくみんなの知らないこと、なるべく聞いたこともない話、なるべく新情報を話したい。さすればみんな感心してくれるであろうし、役にも立つであろう、と、こう考えます。

しかし、実際に聞く側になってみると、知りもしないことばかりを2時間聞かされるのは、とても苦痛です。だいたい30分以後は、上の空で頷くだけになっています。聞く側にもプライドの問題があるため、講演者の話をさえぎって「もっと私たちの知っている話をしてください」などとは言えません。

プレゼンのための5:3:2の法則 – ライフハック心理学 (via ag107)

2010-10-22

(via quote-over100notes-jp)

Via のーと

psql:

Developing more abstract count down timers.



此猫のようにただ一人歩め

nekosenfield:

6pence—:

_DSC7146 (via rampx)

(出典: 6pence)


これは驚いた。 あった事と推測の区別が出来ない人間がいるというはなし以来の驚き。

イスラエルの「刑務所で10カ月間に行なわれた仮釈放審査委員会の審問、計1112回分の結果を基に」した研究:Danziger S, et al. 2011について。

これによると、 朝、仕事を始めた時は判事はおよそ65%くらい仮釈放を行うのに、疲れている軽食休憩の直前になると仮釈放を認める確率が1割以下くらいになる。休憩から戻ってくるとまた65%くらいに戻ってそれから数時間でまた1割くらいに下がるらしい。

まず、人間の判断がこんなに疲労によって左右されるというのが驚いた。 計算能力とかその手の能力への疲労の影響というのは昔からよく研究されているし、6倍以上も変動したりなんかしないはず。 だからおそらく(記事が言うように)「倫理的・道徳的」判断だから変動するのだろう。あるいは不確実性が高い問題だからだという解釈も可能だろう。つまりその種の問題を扱う能力は計算能力などとは全く違うのだということ。これが第二の驚き。 (この記事で紹介されている理論によれば疲労すると現状を変えない選択をしがちだという事らしい。)

第三の驚きは人に対するこれだけの不公正が気付かれずに放置されてきたこと。 そして第4の驚きは、人はこの種の変動に自分ではほとんど気がつかないのだと言うこと。おそらく私達も知らずにその手の間違いを多く犯しているのだろう。

で、自分の話をすると、最近、似たようなことに気がついていた。 問題に出会うと普通は解決策を2つ3つ考えてその中から良い方をとったりするわけだけど、 疲れてくると解決策を思い付くことはできるけど、決断することが出来なくなる。無理にしようとしてもどっちが良いのかまるで分からない感じになる。それが翌日に再開するとほとんど迷わずにきめることができたりする。 自分はこの現象は「疲れると、トレードオフに参加する変数が多数になるとき、結果のpayoffやコストの評価が出来なくなる」という風に理解していた。件の結果をこれで説明することもできるな。

最上の日々 (via ginzuna) Via Eddie Lee 脳 thinking CLIP
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